隠元橋
昨日は、やっと隠元橋のたもとにある石碑を見てきました。以前からずっと、信号待ちの時気になっていたのです。
隠元禅師が訪れた時、隠元橋がある付近には、岡屋港があったとか。残念ながら、巨椋池が干拓され、宇治駐屯地、宅地化で当時の面影はありません。
隠元禅師は、岡屋の津から東方の山をご覧になり、土地の要をぱっと見定めたのでしょうね。
東方の山(妙高峰)裾から、二羽の鶴が舞い立つのを見られて、縁起よしとして下船され、萬福寺の建立地を決定されたとのことです。
と、そのエピソードが石碑に刻まれていました。弘法大師ならば、杖をついたに違いありません。縁起もさることながら、土中環境のみならず、人や物の流れの要としての役割を担う場所に、萬福寺の位置は、最適とも考えられたのではないでしょうか。
当時の岡屋の津からの道と、大和街道の位置関係などを調べてみないと、はっきりとはわかりませんが。
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